発展を続ける郡山の人口は増え続け、1918年(大正7年)には25,000人程になり、計画給水人口30,000人を目標として建設された近代水道は早くも給水に不足をきたすようになりました。このため、新たな水源の確保として町の北部を流れている逢瀬川から取水することを決定、大正12年度〜大正14年度に第一次拡張事業において新たな取水場、逢瀬川第一取水場が建設されました。
また、自然流下により標高の低い地域にのみの給水から、西部高台地域へ給水可能な配水塔(高架水槽)が麓山に建設され、豊田浄水場ポンプ室から配水塔に送水し、給水しました。(残念ながら、高架水槽は昭和46年3月に撤去されています)
この第1次拡張事業によって逢瀬川ポンプ場・豊田浄水場の緩速濾過池が造られています。(撮影:12/9/2008)
↑逢瀬川第一取水場から下流を望む。いずれ阿武隈川へ注ぐ。
↑逢瀬川第一取水場から上流を望む。
↑第一種電気通信事業用の許可標識がある。これは何?
↑敷地内にある水利使用標識。
↑上流側から逢瀬川と逢瀬川第一取水場を望む。
↑取水ポンプ場を東側から望む。
↑ポンプ場を東側から望む。
↑ポンプ場を正面から望む。
↑ポンプ場正面入口。子どもの頃ここを通ったりしていましたが、全く気がつきませんでした。
↑逢瀬川第一取水場の表示。
↑当然郡山市水道局の表示。
↑内部はレトロな造りのまま。
↑取水ポンプが見える。
↑どこから見ても味のある建物である。現在の施設の建物には出せない雰囲気がある。
↑東側から望む。
↑ポンプ井水入管。
↑ポンプ場西側から望む。
↑自家発電設備を備える。
↑建物正面上部に何かはめ込んであったのだろう。
↑ポンプ場正面から望む。
↑桜木二丁目にひっそりとある逢瀬川第一取水場。いつまでも当時の面影のある建物は残して欲しい。
↑倉庫用許可標識。
併設して建つ水防資材保管倉庫。
↑ポンプ場の隣を流れる排水樋管の許可標識。
↑倉庫とポンプ場との間を排水樋管が流れている。
↑逢瀬川対岸から排水樋門を望む。
逢瀬川対岸から望む排水樋門と逢瀬川第一取水場。
↑対岸から逢瀬川第一取水場を望む。
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《参考文献》
◇「郡山市水道史 続編」 編集・発行:郡山市水道局
◇「郡山市水道90年のあゆみ 1912〜2001」 発行:郡山市水道局
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