日本古来の和算は、西洋数学の採用により廃止されてしまいました。郡山の和算家は、安積開拓や安積疏水の土地測量・水量計算に多いに活躍したといわれています。郡山市田村町にある田村神社と郡山市中田町にある稲荷神社に残る算額(さんがく)は、和算の水準と研究者の分布を知ることができる学術上も貴重な文化財です。
※「算額(さんがく)〈田村神社〉」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
※「算額(さんがく)〈稲荷神社〉」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。(撮影:3/3/2017)
↑田村神社。郡山市田村町山中字本郷135。
↑郡山市指定重要文化財 算額(さんがく)案内板。
昭和52年5月11日指定。
市内阿久津出身の最上流(さいじょうりゅう)和算家・阿久津尊睦の弟子で、当時の山中村に住む渡辺今朝吉ら四人が和算の上達を願って、1882年(明治15年)に奉納されたものだそうです。
↑田村神社の算額(さんがく)
長年、社殿の外に掲げてあったため、風雨にさらされ見づらくなってしまったそうです。市指定重要文化財となってから、社殿内に掲げられたそうです。縦1.8メートル×横3.6メートル。
↑縣社田村神社の社号。
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↑郡山市指定重要有形民俗文化財 算額(さんがく)案内板。
昭和43年3月13日指定。
↑算額(さんがく) 昭和43年3月13日指定 郡山市教育委員会。
↑稲荷神社の算額(さんがく)。
石森村の佐久間広吉、七草木村の橋本新四郎、上石村の今泉徳蔵・岩崎忠隆・今泉久也、船引村の助川順平、過足村の過足重蔵、高倉村の神山孝太郎らの、最上流(さいじょうりゅう)和算家・佐久間庸軒(さくまようけん)の弟子たちにより1978年(明治11年)に奉納されたものだそうです。