安積疏水通水当時、五百川架樋(ごひゃくがわかけとい)は石造りの眼鏡橋(めがねばし)として建築されました。
工事を手がけたのは安積疏水の工事責任者、南一郎平(みなみ いちろべえ)と同郷(大分県)の大石工であった児島組。児島佐左衛門を棟梁とし、石組による「眼鏡橋」つくりの名人でした。ただし、石樋部分は耐久性に優れておらず、度々改修工事が行われたようです。1931年(昭和6年)からの大規模改修事業の安積疏水県営第一期農業水利改良事業によって、コンクリートによる吹付け補修工事が行われ、熱海鉄樋は一新されました。
その後、老朽化が激しくなった疏水橋は、国営安積疏水土地改良事業により1977年(昭和52年)、現在の青い安積疏水橋にとして生まれ変わりました。(撮影:5/21/2008)
↑今でも眼鏡橋を支えた石造りの土台が綺麗に残っています。サイズは約9メートル×約1メートルの長方形。その周りを固めていたコンクリートはボコボコです。
↑五百川から見る安積疏水橋。視点が高いので、旧49号線から見るより迫力があります。
↑ここは熱海沈砂槽があった場所。熱海鉄樋時代に活躍していました。鉄樋の左に水門が有り五百川に放水していました。写真の中央には、現在の青い安積疏水橋が見えます。