1880年(明治13年)12月福島県勧奨により旧丸守村に10戸開墾を許可されました。しかし入植したのは4家族ほどであったようです。岡山士族が入植した辺りは「備前開墾」と呼ばれていまいました。
その岡山開拓の中心であった小松健太郎は勤勉で、開拓に取り組む真摯な姿勢は関係者の間でも高く評価されていたようです。更に、健太郎は酪農も手がけており、牛乳を飲んで口の周りを白くしていたと、現地の逸話として残っているそうです。
明治14年の明治天皇が東北地方御順幸の際は、お供をして猪苗代湖の疏水口まで見送りしたとのことです。
↑岡山藩士族入植者の碑。
↑説明文。
↑郡山商工会議所青年部にり平成6年12月建立。
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