一面荒野であった安積の地が現在のような発展を遂げるまでには、先人達の多くの苦労があったからに他なりません。その中でも福島県と開成社による大槻原開拓は、後の安積疏水を含む国営安積開拓事業へ結びつくきっかけとなりました。
1872年(明治5年)に安場保和が県令(現在の知事職)として着任すると、旧米沢藩士の中條政恒を県典事(課長職)に任命し安積開拓を開始しました。翌年には士族授産として大槻原に旧二本松藩士28戸を入植させ開拓を進めました。更に中條は民間参加による開拓のため郡山村の商人達に開拓の資金援助を呼びかけました。
しかし、開墾志願者200名のほとんどは辞退、残る阿部茂兵衛・鴫原弥作ら25名により開拓結社の開成社を結成。開成社による開墾事業は1873年(明治6年)4月に開成沼(現在のグランド)の工事から始まり、五十鈴湖(現在の開成山公園)を造り、開成山、旧桑野村一帯を開墾しました。9月には開拓事務所が完成し、中條によって開成館(かいせいかん)と名付けられました。現存する開成館は1874年(明治7年)に第十区会所(安積郡役所の前身)として建築されたものです。
↑開成館は1874年(明治7年)に建てられました。地方に洋風工法が伝わる前の擬似洋風の三層楼の建物です。
2009年(平成21年)2月6日、経済産業省は日本の近代化に貢献した歴史的な建物として開成館を「近代化産業遺産」に認定しました。郡山市開成三丁目3-7
※「開成館(かいせいかん)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
↑「郡山市指定史跡 安積開拓発祥の地」と「明治天皇桑野行在跡碑」。
※「安積開拓発祥の地(あさかかいたくはっしょうのち)」は2016年(平成28年)4月19日(火)、文化庁により開催された「日本遺産審査委員会」の審議を経て、「日本遺産」に認定された37の構成文化財の一つです。
↑「郡山市指定史跡 安積開拓発祥の地」案内看板。
↑「福島県指定重要有形文化財 開成館」。
↑開成館 入口正面。
↑開成館 入口看板。「開物成務」より開成としました。
↑開成館 南側裏から望む。
↑開成館 北側裏から望む。
↑開成館 外灯。
↑開成館 北側裏から望む。
=”↑開成館 右側から望む。
↑開成館のガラスは、建設当時のガラスがそのまま残っています。入れ替えたガラスもありますが、透明度が違うので一目で見分けがつきます。是非、現地で見比べて下さい!
↑なんと、東日本大震災時にガラスは一枚も割れなかったそうです。
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↑開成館より開拓道路(現在の国道49号線)へ続く道。
↑開拓道路側から開成館を望む。
↑十字街道と呼ばれた交差点。(現在の国道49号線にある開成二丁目交差点)
↑十字街頭に建つ明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)之処の碑。
↑この碑は開拓70年記念として昭和17年9月に建てられたようです。
↑明治天皇は明治9年の東北行幸の際には宿泊所として、同じく明治14年には昼食会場として開成館を使用されています。
↑この交差点に面して、安積開拓を記念して造られた開拓公園があります。(この公園にはものすごい仕掛けがありますので、観光の際は一度ご覧になると良いでしょう)
↑開拓公園の説明書。
↑中條邸後碑。開成郵便局の東側にあります。
↑昭和41年4月 自然石に黒御影石がはめ込んであり、郡山文化協会有志により建てられました。
↑現在はひっそりとした公園となっている。(知る人は少ないのではないかと思いますが、なかなかキレイに整備されています)
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